下村博文元文部科学大臣著書「啓育立国」

 

 

 2019年、下村博文 元文部科学大臣による日本の未来を創る「啓育立国」の著書が出版されました。下村先生は、これまで高校・大学入試にて行われてきた4択問題の入学試験形式を、自立を進めるための小論文形式の受験体制に変えるべきだと、大臣になられる前から熱心に説かれていました。そして、文部科学大臣になられた後に、2019年度の高校入試では小論文形式の問題が出題されるようになりました。2020年には大学受験にも小論文形式の出題が始まるのではないでしょうか。また、受験生が5人から6人の小集団コミュニケーションにおける討論会を通した受験体制も入ってくると思います。これはインプットの学習方式から、知識を蓄えアウトプットできる教育に変えていく必要があり、これからの日本が自立した自己の発言と行動ができるための考えではないでしょうか。

 

 

 この著書、「啓育立国」の出版記念パーティーで下村先生にもお会いすることが出来ました。今までの教育は自己実現(「自分の夢をかなえるためには」という学問)であったが、これからは「自分の知識や経験が社会にどうすれば役立つのかという志を持てる教育へ」と熱く語っておられました。

 

 

 最近私がよく耳にするのは、善と悪の間に無記があるというものです。悪というものを突き詰めていくと善に通じ、善を突き詰めていくと悪にも辿り着くことがある。我々の生けるこの世界では、物事を善と悪の二つに分けることはできるのでしょうか。善は誰が決め、悪を誰が決めるのか。それは自分の心の葛藤の中で区別されるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 下村先生は話の中で、「障害があっても能力を発揮できる社会。これは強者と弱者が手を結ぶことによって、相互の力がより大きなものとなって社会に反映される」とおっしゃられていました。例えば、一方は素晴らしいデザイン力を持つ人がいても障害があり、それを社会経済に発揮できない。もう片方は経済を担っている企業であり発信のツールは持っているが、今求められている、いや、さらに将来を見据えたデザインは、知恵は、ないかと探るこの二人が手を組むことによって、相関関係が生まれる。いわゆる「知識と情報提供の視野が現実化していく社会を目指す」ということが私の心の中にある無記と共通すると思いました。無記とは双方が認め合い、語らずしても分かり合えることだと私は思っています。

 

 

 これからの日本の教育は、まさに知識をため込むだけでなく、大いに自分の知識と経験を社会に発揮できるような志を持てる「啓育立国」を目指してほしいと思います。

 

                             中野 龍之